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仙台高等裁判所 昭和58年(行ケ)2号 判決 1984年4月17日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  原告

昭和五八年四月二四日執行の山形県東田川郡余目町議会議員選挙の当選の効力に関する審査請求につき被告が同年八月三〇日にした裁決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二  請求原因

一  原告および訴外佐藤登市(以下「訴外登市」という)はともに昭和五八年四月二四日執行の山形県東田川郡余目町議会議員選挙(以下「本件選挙」という)に立候補した者であるところ、本件選挙の選挙会では、原告と訴外登市の得票数がいずれも三八二・一一七票であるから公職選挙法九五条二項によりくじで当選人を定めるべきであるとし、くじによる抽選の結果原告を当選人と定めた。

訴外登市は右当選の効力に異議があるとして余目町選挙管理委員会(以下「町選管」という)に異議申立をしたが同年五月二三日に異議申立棄却の決定を受け、被告に審査の申立をした。被告は、同年八月三〇日、町選管の右決定を取消して原告の当選を無効とする旨の裁決をした。

右裁決の理由は次のとおりである。

(1)  「佐藤東一」と記載された投票につき右選挙会は無効投票としたが、これは訴外登市に投票する意思で誤記したものであるから同人に対する有効投票と認めるのが相当である。

(2)  右選挙会は「ともき」と記載された投票につき原告の得票としたが、これは有意の他事記載をしたものとして無効と解すべきである。

(3)  右二票の効力をこのように解すると、訴外登市の得票数が三八三・一一七票、原告の得票数が三八一・一一七票となり前者が後者を上回るから、当選人は訴外登市であつて原告の当選は無効である。

二  しかし、被告の右裁決は次のような理由で誤りである。

(一)  佐藤東一は余目町内に実在する著名な人物である。即ち同人は昭和二七年の教育委員選挙に立候補して当選しこれが地元紙に報道されて町民に知られ、昭和三〇年頃には県議会議員高梨四郎の選挙参謀となつたこともあり実力者的立場にもあつたし、また、町内農家全戸に配布された「最上川土地改良区史」の編集を担当したほか、「荘内の文化遺産」など町史、郷土史の解明、著作に関与し、高山樗牛賞、勲五等瑞宝章、斎藤茂吉文化賞を受け、昭和五四年には余目町の名誉町民となつてこれが同町役場発行の広報紙に掲載されたのみならず、明治二九年一二月八日生の高齢ではあるが、昭和五六年三月と翌五七年八月同町立図書館主催の同町郷土史研究講座の講師となるなど現に文化活動をしており、人口二万人足らず、世帯数四〇〇〇戸、有権者数一万四四一一人程度の小さな町である余目町内において知名度が高く、特に四〇才代半ば以降の町民によく知られた著名な人物である。訴外登市も町議会議員選挙に今回で四度目の立候補をした者であり、前回選挙には当選して議員として活動してきたもので知名度がある。従つて、有権者が両名を混同することはあり得ない。投票はその記載自体において候補者の何人に対する投票か投票者の意思を明認できる場合に限り有効とすべきであり、投票に記載された者が候補者以外の実在人であつて著名人でありその記載が当該実在人を表示したと推認され得る特段の事情があるときは同人を指向したものとして無効とすべきであるところ、本件についてはその特段の事情があるといえるから「佐藤東一」と記載された投票はその実在人に対する投票として無効と解すべきである。

(二)  「ともき」と記載のある投票は、その記載自体から原告に対する投票であることが明らかである。文字の右側の濁点は筆の誤りで不用意に記載されたというべきであり、これをもつて他事記載とすることはできない。

(三)  このように、「佐藤東一」と記載のある投票を無効とし、「ともき」と記載のある投票を原告に対する有効票とすると、訴外登市と原告の得票数は同数であるから、選挙会の決定に誤りはなく、被告の裁決に誤りがあるというべきである。

第三  請求原因に対する答弁と被告の主張

一  請求原因一は認める。同二のうち、佐藤東一が余目町内に実在する人物であつて、昭和二七年余目町教育委員選挙に立候補して当選したことがあり、「最上川土地改良区史」の編集に従事するなど郷土史に関する研究、執筆活動に携わり、文化活動の功績により昭和五四年に余目町名誉町民となつて同町役場発行の広報誌に掲載され、原告主張の郷土史研究講座の講師となつたことがあることは認めるが、その余は争う。

二  実在する佐藤東一なる人物は郷土史の研究など文化関係の方面で活動したものの町長選や町議会議員選挙に立候補したことも関与したこともなく、昭和五八年には八六才の高齢に達しており、ある程度の知名度を有することは考えられるけれどもその範囲は限られたものであり、原告主張の特段の事情があるといえるほど著名な人物ということはできず、同人が本件選挙に立候補したと選挙人に誤認されるような事情はなかつた。

訴外登市の「登」の字は音読みで「とう」とも読まれるのであり、訴外登市は本件選挙の立候補届出にあたり「さとうとういち」と振り仮名を付している。また、実在の佐藤東一の住民票にも「サトウトウイチ」と振り仮名が付されている。このように両名とも音読みで同様に発音されており、「佐藤東一」との記載は訴外登市の氏名の誤記と認められるほど近似している。昭和五四年四月二二日執行の余目町議会議員選挙の際にも「佐藤東一」と記載された票があり、また訴外登市の屋号は「八兵エ」として広く余目町民に知られ、同人に配達された昭和五八年の年賀状の中で余目町在住の者から差出されたものに宛名が「八兵エ、佐藤東一」と記載されていたものが一通あることから判るように本件選挙の選挙人の中に訴外登市の氏名を「佐藤東一」と誤つて記憶している者が存するのである。従つて、「佐藤東一」と記載された投票は訴外登市に向けて投票したと考えるべきで同人の有効票である。

三  「ともき」と記載された投票についてみるに、「と」の字の右下に「ヽヽ」と二つの点が、「も」の字の右下に「ヽ」と一つの点が、「き」の字の右上に「ヽ」と一つの点が付され、「ともき」の文字は明瞭であり、決して稚拙な文字でなくすらすらと記載されている。その筆跡からすれば右各文字に付された点は筆勢の赴くままに無意識に付されたとも、また辛うじて「ともき」と記載し、その各字を記載し終つた時に句読点を付すると同じ気持で無造作に打たれたものともいえない。右各点の記載の態様が一字毎に異なり、また付した点と各文字との関係位置も一字毎に異なるところから、右各点の記載は有意の他事記載と認められ、右投票は無効票とすべきものである。

第四  証拠(省略)

理由

一  請求原因一記載の事実は当事者間に争いがない。

二  「佐藤東一」と記載された投票の効力について

(一)  佐藤東一が本件選挙区たる余目町内に実在する人物であつて、昭和二七年余目町教育委員選挙に立候補して当選したことがあり、「最上川土地改良区史」の編集に従事するなど郷土史に関する研究、執筆活動に携わり、文化活動の功績により昭和五四年に余目町名誉町民となつて同町役場発行の広報誌に掲載され、昭和五六年三月と翌五七年八月同町立図書館主催の同町郷土史研究講座の講師となつたことがあることは、当事者間に争いがない。

原本の存在と成立に争いのない甲第五号証の一ないし六、第六号証の一、二、成立に争いのない甲第七、第八号証、乙第三号証、第六、第七号証、証人中野正美の証言および弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、他にこれに反する証拠はない。

佐藤東一は明治二九年一二月八日生で山形県立荘内中学校を卒業し、昭和二七年一〇月から昭和二八年三月まで余目町教育委員をし、同二八年一一月山形県文化財調査委員となり、昭和二六年一二月「荘内の文化遺産」を著し、昭和三三年四月五日余目町役場発行の「余目町古文書目録」の監修、昭和四四年一月三〇日余目町長富樫義雄発行の「余目町史年表」の編集を担当し、郷土の歴史、文化遺産の研究、発表に活躍し、昭和三四年一一月第二回高山〓牛賞、昭和四三年一一月勲五等瑞宝章、昭和四四年第一五回斎藤茂吉文化賞を受けたが、少なくとも昭和三八年四月以降執行の余目町長、同町議会議員選挙に立候補したり特定立候補者の出納責任者総括主宰者になつたりしたことはない。

(二)  前記争いのない事実および右認定の事実によると、佐藤東一は、余目町の町政に若干関係があるものとしては教育委員になつたことであるが、それも本件選挙から三〇年ほども前のことであり、これを除けば終始文化関係の活動に従事していて町政に関し格別の政治活動をしたことはなく、本件選挙当時八六才の高齢であつたことも考慮すると、郷土史研究家としてある程度知られていたとはいえ、本件選挙民が同人を立候補者と誤認するような事情にはなかつたものと認めるのが相当である。同人が右のような文化活動によりある程度の知名度を有していたからといつてただちに「佐藤東一」の記載が同人を指向してなされたと認むべき特別の事情があるとはいえない。

(三)  成立に争いのない乙第五ないし第七号証、証人中野正美の証言によると、本件選挙候補者届出受理簿の候補者氏名および投票場所掲示の候補者氏名には訴外登市につき「さとうとういち」の振仮名が付せられ、佐藤東一の住民基本台帳の氏名欄にも「サトウトウイチ」の振仮名が付せられていて同じ音読みであることが認められ、訴外登市の「登」の字は元来音読みで「とう」とも読まれるので「佐藤東一」との記載は訴外登市の氏名の誤記と認められるほど近似しているということができる。また、証人水戸久三郎の証言とこれにより成立を認めうる乙第四号証によると、訴外登市の屋号は「八兵エ」として広く余目町民に知られ、同人に配達された昭和五八年度の年賀状の中で余目町在住の者から差出されたものに宛名が「八兵エ、佐藤東一」と記載されたものが一通あることが認められる。そして検証の結果によると、昭和五四年四月二二日執行の余目町議会議員選挙においても訴外登市の有効投票と決定されたものの中に「佐藤東一」と記載された一票が存在したことが認められる。してみれば本件選挙の選挙人の中に訴外登市の氏名を「佐藤東一」と誤認していた者がいることが推測される。

(四)  選挙人は、真摯に選挙権を行使し候補者に投票する意思をもつて投票を記載したと推定すべきであるから投票に記載された氏名と同じ氏名をもつ者が同一選挙区内に実在する場合でも、投票の記載がその実在人を指向するものと認められるためには、その者が地方的に著名であるなどその記載が特に当該実在人を表示したと推認すべき特段の事情があることを要し、そのような特段の事情がない限り、右投票が候補者の氏名を正確に記載したものでなくても候補者の氏名に類似した氏名を記載したものであり、その記載が当該候補者を表示したと認められるときは、その投票は当該候補者の有効投票と解すべきである(最高裁判所昭和五〇年(行ツ)第一〇五・一〇六号、昭和五一年六月三〇日第二小法廷判決参照)ところ、さきに認定、説示したところからすれば「佐藤東一」という投票の記載が実在の佐藤東一を表示したと推認すべき特段の事情があつたとは認められず、右投票の記載は訴外登市を表示したと認められるから、右投票は同人の有効投票と認めるのが相当である。

三  「ともき」と記載された投票の効力について

公職選挙法六八条一項五号が他事記載を無効とするのは、それが何人による投票であるか探知し得る機縁となるのを防止しもつて投票の秘密を保持せしめようとするところにあるから、投票記載の氏名、氏、名前等候補者を特定する文字の付近にある濁点、句読点なども、誤つて不用意に、あるいは習慣性のものとして無意識のうちに記載されたものは別として、意識的に記載されたものは他事記載にあたりその投票は無効とすべきであり、その他事記載にあたるか否かは点の数、大きさ、位置などを文字の形態と比較してその記載自体から判断すべきである(最高裁判所昭和三七年(オ)第七九一号、同年一〇月一六日第三小法廷判決参照)ところ、検証の結果によると、「ともき」と記載された投票の「ともき」の平仮名は一字一字はつきりと楷書の大きい文字で記載され、「と」の字の右側下方に「ヽヽ」と二つの点が、「も」の字の右側下方に「ヽ」と一つの点が、「き」の字の右側上方に「ヽ」と一つの点が付せられており、各点の記載の態様が一字毎に異なり、また付した点と各文字との関係位置も一字毎に異なる。この平仮名の字体、配列と「ヽヽ」又は「ヽ」の各点の位置とを比較してみるとき、右各点は筆勢の赴くまま誤つて不用意にあるいは習慣性の句読点として無意識的に記載されたものということはできず、意識的に記載されたものというべきであり、右投票は有意の他事記載をしたものとして無効と解するのが相当である。

(四) 以上のとおり、「佐藤東一」の記載票が訴外登市に対する有効投票、「ともき」の記載票が無効票と解すべきであるから、原告の得票数が三八一・一一七票、訴外登市の得票数が三八三・一一七票であり、前者を後者が二票上回るから訴外登市が当選人となつたものであり原告の当選は無効であるとした被告の本件裁決は正当であり、その取消を求める原告の本訴請求は理由がない。

よつてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条に従い、主文のとおり判決する。

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